マルタ島に到着。
イスタンブールからマルタまでの飛行機では非常口の席で、周囲の席は背の高い人ばかりで窓がまったく見えず、ずっと寝ていました。
マルタ空港に到着したところ、なぜかトルコの政府専用機が駐機していました。
専用機の周りにはカメラと警備。
シートを被せられたエンジンって、和太鼓のよう。
入国審査は何事もなく終了。
荷物をピックアップした後に荷物X線検査の長い列を待っていたのですが、幸か不幸か係員に目を付けられて荷物を広げる羽目に。
ちょいと恥ずかしい(笑)
でもおかげで列に並んでいるより早く脱出できました。
外へ出て、まず両替所とSIMカードを探します。
なんと! 両替所がありません…。
ATMでキャッシングです。
SIMカードも空港内には無く、空港前の道路にボーダフォンの赤い仮設店舗がありました。
スターターセットに+1ギガ(7日)をつけてもらって、20ユーロ。カード払いです。
アクティビティもしてもらいました。
ホテルに荷物を置いて、まず行きたかったのが日本人墓地です。
関係者とかではありません。
以前に新聞に載っていて、気になっていたんです。
バスのルートが判りませんでしたので、ホテルからタクシーで向かいました。
余談ですが、マルタのタクシーにはメーターがありませんでした(笑)
表になっていて、「○○までなら何ユーロ」と決まっているようです。
タクシーで墓地へ向かっている途中でものすごい渋滞になりました。
原因は、トルコの首相が目の前のモスクに居たらしいです。
警察やらSPやらが反対側の道路を封鎖していたせいです。
かなり時間はかかりましたが、何とか墓地にたどり着きました。
メーター制でなかったことに感謝(笑)
マルタのタクシーは「ぼる」ことがないみたいです。(100%かは知りませんが)
失敗したのは、このときタクシーに待ってもらわなかったこと。
帰りはバスで、なけれはタクシーを拾おうと軽く考えてしまったのが間違いでした。
そもそも、どの路線のバスに乗ればいいのか判りません。
そしてタクシーは日本のように流していませんでした。
帰りは4時間(寄り道もしたw)歩き続けて、足にマメができて、潰れました。
ここが”共同墓地"の入口です。
「カルカーラ海軍墓地」の一角にあります。
タクシーの運転手もカルカーラに海軍墓地があることを知りませんでした。
花を買って行こうかと迷いましたが、墓参りでも「捧げ終わった」花の始末を誰がするのかと考えたら「持っていかないほうが良い」という結論に。
日本のほか、ドイツ、イタリア、フランス、ポーランドの戦死者が祀られています。
他にもインド人の戦死者などが含まれているようですが国としての銘板表示はありませんでした。当時はイギリス植民地だったためかもしれません。
土地自体は当時のイギリス海軍のもので、国ごとに固まって埋葬地区を振り分けられています。
当時(第1次世界大戦)のイギリスにとって日本などは友軍、ドイツなどは敵軍です。
敵味方関係なく、死者に安らぎの場を分け与える懐の深さは海軍だからじゃないかな~と思います。
こんな感じでお墓が並んでいる中、門から中央の通路を真っ直ぐに進んだ突き当たりにそれはありました。
"隅っこ"ともいえますが、私には"正面一番奥の一等地"に映りました。
花とチョコレートが一個、お供え?してありましたが、花の枯れ具合から1週間前くらいと思われます。
やはり後始末を考えると、旅行者が安易に花束を捧げないほうが良さそうです。
手を合わせて墓地を後にしました。
マルタ島のこと①
・国の面積は淡路島の約半分
・バスは乗車ごとに1.5ユーロの先払い
・車は日本と同じ左車線走行