温泉!
なんていい響きでしょう。
はいりたかったんですよ~~!
新北投温泉郷とは
北投温泉郷とは
清朝の時代、北投地区では硫黄などで作物が育たなかったため、地域の人々は税も払えず、生活は豊かではなかったようです。
「納税できません」「あ、そうですか」では済まされない世界ですからね。
その後、日本が統治するようになり、地理を調べていくと温泉があることがわかります。
「温泉あるじゃん!」
(北投温泉博物館の展示より)
日本人とローマ(羅馬)人が温泉を見たら利用したくなるのが人情というもの。
当地に住まうケタガラン族に掛け合い、温泉保養所として整備します。
足かせでしかなかった「温泉」が現地の人の収入にも、祖国を離れた日本人にも恩恵を与えてくれました。
行き方
台北駅から地下鉄淡水線(路線カラーは赤)で北投駅まで行きます。支線として「新北投線」があるので乗り換えて新北投駅で降りたら北投温泉郷です。
台北駅から約40分くらいです。
新北投線は1区間のみの北投温泉のための支線です。
移転新築された、昔の新北投駅舎
新北投駅を降りたらケンタッキーと吉野家がある交差点を山のほうへ歩きます。
トコトコと坂を登っていくと500m程度で源泉に到着です。
途中、所々に案内板もあるのと、川を挟んでロータリー状になっているので迷わないと思います。
川を挟んで南側に銭湯や温泉旅館が並んでいます。
「熱海」「京都」などの名前が見えるのが面白い。
源泉は温泉マーク
ここが源泉の入口になります。
見事に温泉マークですね(笑)
日本地図とJIS規格だけにしかない、日本固有の記号だと思っていました。
台湾では温泉をあらわすのに、普通に使われているんですね。
そして温泉マークにふさわしい、水面から立ちのぼる湯気!
源泉池としては狭いですが、各温泉や旅館は導管で引いているんでしょうね。
温泉玉子のせいで!
説明によりますと、
北投温泉は昔から制限せずに利用できたらしいですが、
90℃以上の泉温でやけどをする人や、茹で卵を作ろうとして水質を汚したりしたために、水源管理することになったようです。
熱湯にいきなり玉子を突っ込むなんて!
割れるの当たり前でしょう。
鍋に入れて、間接的に茹でないと・・・。
混浴露天風呂!
あると思っていました。
ちゃんと海パンも用意してきたのです。
そして、
海パン不可!
えぇぇぇ?!
そ、そんな・・・。 orz
入湯失敗。
北投温泉博物館
源泉と駅の中間ぐらい(川の北側)に、入場無料の温泉博物館がありました。
入口で履物を脱ぎ、スリッパに履き替えます。
建物は、日本統治時代のものをそのまま使っているようです。
総統府(大統領官邸=当時の台湾総督府)もですが、大事に使っていただいてますね。
ちょうど納涼祭の準備中でした。
畳がありますよw
温泉保養所として整備される前からの変遷ですね。
冒頭で「日本が整備した」と書きましたが、
日本が整備する前はケタガラン族も中国人も、主に農業をしていて稲作にも有害だったが、 温泉文化が持ち込まれてから北投温泉に湯気が立ちのぼる様は統治時代台湾の景勝地(八景十二勝)の一つになった。
という説明がされています。
1Fの展示。
中浴槽などそのまま残っています。
「流し」が温泉を回って、客の注文に応じて歌を披露していたことも紹介されています。
大浴槽には水を張って、ガラスの器を浮かべています。
器同士がぶつかるとチリンといい音がします。水琴のようです。
行幸
当時の皇太子(昭和天皇)もご訪問(行啓)
大正天皇の名代として、当時皇太子だった昭和天皇も台湾行啓の最後を北投温泉で保養されたそうです。
(北投温泉博物館の展示より)
出どころを忘れてしまったのですが、昭和天皇は晩年まで台湾のことを日本と同じように気にかけていた、というエピソードを読んだことがあります。
政治的な訪問だったのは明白だったとしても、
病気がちの大正天皇に代わって、若いころから公務に追い立てられていた皇太子にとって、台湾(視察)旅行はものすごく楽しい思い出だったんじゃないでしょうか。
歴史は歴史として、こうやって展示されていることはとても良いことだと思います。
次は、ぜひ温泉を楽しむために来たいものです。